幸優氣会設立20周年を迎えて

幸優氣会20周年記念誌 挨拶

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平成7年秋、川崎市石川記念武道館が主催していた「幸合気道教室(指導:大村浩章師範)」で稽古していた講習生の中から、さらなる心身の鍛錬、技の探求、自立した組織を希求する10人程で派生した「幸優氣会(会長 岩田氏)」も、合気道の魅力と社会情勢に呼応し会員も徐々に増加し、今では当会の将来を担う子供クラスができるまでに発展し、ようやく地に足がついた今日この頃、設立20周年を迎えることができました。


これまで解体なく存続できたことに感激にすると共に、変転の都度、会員始め、千代田区合気会や友好団体の皆様に導かれ、たどり着いた20年でした。会長として感謝申し上げます。


発足当初は指導する高段者もいなく、昇級・昇段審査もできない手探りの状態が続き私としても悶々とした状態が続いていましたが、平成9年秋になりようやく戸田スポーツセンターでご活躍されている織畑和夫師範に御指導をお願いすることになり、順調な運営が見えてきた矢先の平成13年秋、頑健な体を持つ織畑師範も、体調不良によりやむなく勇退されることになりました。坊主頭で威風堂々、一見危険な臭い。しかし人情味溢れる心根の暖かい魅力ある方でした。


これを契機に、平成14年新年よりアクセスの良い場所に道場を求め、川崎駅から歩いてもいける渡田中学校に本拠地を移しました。残念ながら、これまでどおり石川記念武道館で続けたいという会員とは、袂を分かつ結果となり、現在’川崎流氣会’へと発展しご活躍されています。


平成16年夏、曽根さんが多忙により会長職をバトンタッチする。それまで曽根さんには会が軌道に乗るまですべての責を背負って頂いていた事を十分認識していましたので、その労苦と共に引き継いだ会を未来永劫にと、この年から、年度計画書・運営規約等を作成、各担当のご努力もあり年度計画を着々とこなしながら運営することで、10年が経過しました。


平成17年夏より、会員のレベルUPを目的に年2回の講習会を企画しました。

千代田区合気会との繋がりから、山嶋 武師範をお招きして「基本技を中心とした体の使い方」をテーマでご教授いただいています。山嶋師範の人柄に惹かれ、各友好団体からも指導者の精鋭から会員まで大勢参加頂き、現在では当会員にとって技の奥行き・合気道の楽しさや魅力を体感できる重要なイベントとなっています。

この接点から、友好団体主催の講習会や合宿、合同稽古へ頻繁に交流が始まり’外に目を向ける’風潮がようやくですが定着しつっあります。


平成18年初夏、第44回全日本演武大会への初出場が決まりました。

それまで友好団体の端に加えてもらい、演武会の雰囲気を味わう程度でしたが、パンフレットに自分の名前をみつけて小躍りする会員もいたことを記憶しています。

同年、我孫子合気会や練馬総合体育館道場の友好団体も出場することとなりました。


平成9年に開設されたホームページも、平成21年に全面リニューアルし、活動記録、情報、案内等充実させ、当会の活動を外に解放したことで良い評価をいただいており、会員勧誘にも一役かっています。興味を持った親子の入門が続いたことで平成25年に「少年の部」を新設しました。

チビツ子達は将来の幸優氣会を支える有望な新人でもあります。


平成25年夏、第9回神奈川県合気道連盟主催演武大会に初出場しました。

(公財)合気会の方針で、県連組織つくりの一環として、また公認道場としての条件として加盟が必要となったため、前年の平成24年に神奈川県合気道連盟に加入、地域の活動に同調、自己のレベルを確認する良い機会となっている。


思い起こせば、設立・普及期の会運営に汗を流している頃を知っている会員も少なくなりました。今では、合気会公認道場(3ケ所)として週3回の稽古と、月1回の日曜稽古を実施できる団体へと発展しました。


今後、当会のさらなる発展には、活性化が必要と言えます。まず意識として、設立時目指していた技の絶えざる探究心’をそれぞれが稽古の中で生かされ、自主性をもってできれば道場全体もおのずと活気ある道場に変化していくのではと思います。次の核となる方たちへの課題として、残しておきたいと思います。


これからも人々との出会いを通して、自他共栄の精神でお互いに尊重し、共に成長し且つ、健康で生涯稽古が続けられます様、また幸優氣会の益々の発展を祈念いたします。

平成27年9月

幸優氣会会長 上野洋治

千代田区合気会 40周年の思い出

千代田区合気会設立40周年記念誌 寄稿

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設立40周年を迎え、心よりお祝い申し上げます。
40周年の瞬間を迎える今、在籍していることに、喜びとともに感謝申し上げます。 会風も気に入っているこの道場を心地よく感じて稽古に通っている方は私だけではないと感じます。 指導者層の厚さやこれに加え、本部道場増田先生の指導日では毎回優しく、そして厳しく、ユーモア を交え、相手の技量に合わせたご指導は人間的な魅力と重なり、何とも言えない楽しい稽古風景を 醸し出しているからです。

■入会時の思い出

昭和58年、勤務先の大先輩である大島顧問(~平成23年迄会長)から’千代田区合気会’を紹介頂 き入会致しました。会の設立後、10年程たった時期です、当時は10数人の個性あるレベルの高い 有段者ぞろいで、熱心さゆえに初心者にはきつい稽古だったと思います。いつのまにか、稽古にこなく なったり、口よりも体で覚えろとばかりビシバシ投げる、投げる。最後にワンポイントを教えてもらい、 ひきつった顔でありがとうございましたと、感謝。これも懐かしい思い出です。 時が移り、稽古風景も様変わりしました。力を抜き気合を入れる、ハラ(肚・中心)にまとめ、足・腰を 使い柔らかい稽古へと会風も替わり、初心者に対しても生涯稽古を目標にマンツーマンで丁寧に指導 しているところです。

顧問であった故山口清吾先生が指導に来られると常時10人ほどのいわゆる追っかけが参加し、華麗 な受けを取っていて、小生の自護体の受けとは天地の差があったのを覚えています。 山口先生の技は2~3分で「ハイ! 止めぃ~!」と、1時間半の間に関連技が次々と変化し、そして 指導する技も早く、目をこらしていても小生にはどんな技をやったか、ついていけなかった。 DVDが普及している昨今、当時のものを部屋にいながら繰り返し見取り稽古ができることでその時の 感触がよみがえり、幾度となく新たな発見をもらいました。 あれから30年、会勢60名余り、昭和に入会された方は現在8人とわずかになり、小生も古い会員に なってしまいました。これからも若いものに負けじと、体が動く限り稽古したいと考えています。

■会の運営

平成18年から会の運営をオープンにして会全体で推進しようと、組織づくりと同時に事務局で運営 事務に携わっています。それまでは、前任の飯島さんが長い間、運営事務すべてのことにお一人で 携わってきて大変なご苦労をされていましたが、会も大所帯になり個々の活動では限界もあり、また 運営事務も後輩に託すということで組織化を図ったことでしたが、肝心要の稽古場の確保に苦慮して いるところです。 過去に、昭和61年伊豆大島の噴火のときは千代田区立スポーツセンターを避難所として、また平成 10年には、耐震補強工事ため利用ができなくなったときは、友好団体の道場や近所の千代田小学校 (神田さくら館)を借り玄関での固い板張りの上での稽古やマットレスでの稽古を思い出します。 稽古日を確保するため、’千代田区合気会’、’消防庁合気道部’、お隣の’空手の3団体’に交渉し 5団体で柔道場を共同使用できる様、毎月抽選に備えることを飯島さんは工夫されました。 平成23年以降は、’消防庁合気道部’が休会状態の為、これに替わり’幸優氣会千代田支部’を急揃 えで登録し、抽選に備えているところです。鮎合さん、水流さんには申し込み、抽選結果の確認等々、 面倒なことを一気に引き受けていただき感謝致します。高野さんにはHPを開設してもらい、稽古スケ ジュールを含め他の情報や案内を開示し、会員への連絡の迅速化や対外への媒体として活用してい るところであります。 再び、ホームグランドの改修工事で、平成24年9月から7ケ月間使えなくなる計画が持ち上がりました。 計画を知った当初、これからジプシー生活かなと困り果てていたのですが、文京区在住の村瀬さんに 文京区の各施設を利用することができないか相談しましたところ、早速’千代田あゆみ会’を設立、 窓口への交渉もトントンと進めてもらい、江戸川橋体育館等を利用できることとなりましたが、この時 ばかりは会員を迷わせることなく稽古ができると、胸をなでおろしたものでした。文京区の施設は今後 も継続利用することで稽古日数の確保もでき、ピンチをチャンスに変えるいい例ではありますが、 事務局は安定した稽古場所の提供を一番に考えなくてはいけないと痛感させられました。

■会風・カラーは後人へと続け

過去にもこのような試練が幾度となくありましたが、それに臆することなく、達観し、乗り越え40周年と 続いてきました。ひとえに山嶋会長、大島顧問はじめ、どしっと構えたベテランや事務局スタッフが いたからこそ、ブレることなく続いてきたのだろうと思います。 千代田で育ってもらって、大勢の人と出会って皆さんに感謝の30年ですが、先人の思いと技を次の 世代に繋いでいかねばと、思いを募らせているところです。




平成25年4月
幸優氣会会長 上野洋治

記念朝日合気会での思い出

朝日合気会50周年記念誌 寄稿

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朝日合気会設立50周年おめでとうございます。平成3年から7年間、朝日合気会に所属しましたが、小生の合気歴で骨格をつくる大事な時期に故有川先生に師事いただき貴重な体験をさせてもらいました。また当時の安江・齊藤会長、幹事の皆様にはお世話になりました。

朝日合気会との出会いは、昭和58年大阪から転勤で上京し、故山口先生が指導されていた千代田区合気会に入会しましたが、当時私の合気道は力を使ったパワフルで息の切れる稽古でしたので、新天地に馴染めず、悶々としていたところ鈴木師範と出会い、心温まる励ましをいただきました。また朝日合気会では高名な有川先生が基本技を中心に指導されていることを聞き平成3年、朝日合気会を紹介してもらい通わせてもらいました。

今思うと、大先生を二股かけて冷や汗ものですが、有川先生も快く受け入れていただき感謝しています。有川先生には基本動作・基本技をきっちり体に染み込ませていただきました。基本をしっかり習得していれば応用的な変化技にも自然に体が動いていくと認識したものです。有川先生は奇をてらうような派手な技はなく、シンプルな技の連続でしたが奥深い、究極の技でもありました。今は見ることもできませんが、私自身稽古の中で追及していかなければと思っています。

近況というと、合気道を初めて35年、よく続いたものとわれながら感心しています。この3月末日で定年を迎え、第二の人生を歩みつつあります。現在、週3回、地元(川崎)の幸優氣会と千代田区合気会(神田)で汗を流しています。

二つの道場で次の世代に交じり稽古していますが、教えていただいた基本技を中心に、体をどう扱うかをテーマに、また探究心を目覚めさせるような指導をと、日々苦慮しているところです。

部外者として、いつ行っても心地よい稽古ができる朝日合気会の道場を絶やすことなく、今後とも大切に引き継いでいただきたいと願っております。ますますのご発展を祈念致します。







平成23年11月

幸優氣会会長 上野洋治

栗原立雄氏 追悼の辞

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栗原立雄氏、平成23年10月16日筋委縮性側索硬化症(通称ALS)にて死去 享年63歳 ALSは全身の筋肉がやせて力が無くなっていく病気で、年間に10万人に1人が発生するそうな、故人は長年この病気を体に持ち込み晩年苦しみ成仏された。
故人とは平成16年から合気道仲間として、また人生の先輩としてお付合いさせてもらっていました。突然の訃報に接し、ただただ驚いているところです。お悔やみ申し上げます。
故人とは神田駅近くの千代田区合気会と当会の2つの道場で汗を流させてもらいました。
合気道が高齢者にも向いた武道だということで56歳から初められましたが、力があり、体が硬く合気になじむかなと思っていましたが、本来の負けん気が芽生え、入会と同時に着々と技を習得し、平成20年11月には初段を取得された。その時の集合写真が残っていますが、いいドヤ顔をしています。会から贈呈した黒帯は御棺にいれ天国へ持って行かれたそうです。あの世で一人稽古をやっていることと思います。
交通事故で体調を悪くして、運動ができなくなった時期もこの頃だと記憶しています。(原因はALSだった。)小生らには何ら気づかせない配慮をされていました。リハビリへ行ったりして病魔に侵されつつ、いよいよ運動ができなくなり、2つの会の退会を決意され、最後のお別れの時は寂しいお顔をされていました。無念だったと想像します。三重に転勤になり、それでも健康になったら、合気ができる場所を探しておられたようで、合気に対する情熱がいかほどのものだったのか伝わってきます。また退会にあたって小生あてお世話になった旨のお手紙をいただきました。退会される方からもらうことがないのでこちらが恐縮してしまいました。義理固い人でした。会の発展に何かとアドバイスを頂いたり、道着の縫い繕いをやってあげたり(小生の家内が)合気談義で盛り上がったりたくさんのいい思い出がありました。
川崎でお別れの日に,そのうち遊びに行きますよと言っていたのですが、あの時が最後だと思うと、いい先輩を失い残念でたまりません。
団塊の世代で企業戦士、頑固で家庭では躾が厳しい反面、子煩悩、好々爺でいい親父でした。
ご生前のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。  合掌

平成23年11月4日
幸優氣会会長 上野洋治

新年のご挨拶

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 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は、現政権に対する過度な期待感とは裏腹に内政・外交での失態と慢性的な景気低迷、またグローバルな問題として温暖化が原因とも思われる異状気象による世界各地での自然災害の多発等、良いことがなかったように思える寅年でした。
 新年を迎え十二支も兎へと替わりました。兎は、良く聞こえる大きな耳と素早く跳ねる足で「脱兎の勢い」「脱兎のごとく駆け出す」と形容されているように、リーマンショック以降の閉塞感立ち込める現状からの脱却と共に飛躍の年ともなろう明るい予感を私たちに与えてくれています。
 卯年生まれの人は温厚で愛嬌があり柔和な性格といわれています。それに共感している私も卯年生まれです。すなわち、今年は還暦と同時に仕事も定年退職。いよいよ世の習わしに従い「晴耕雨読」の生活かと昨年は大きな声で放言してきたものですが、このまるで居酒屋内での理想論の如き世迷い事は、まだまだ先だというのがリアルで醒めた現実のようです。
 さて、幸優氣会は昨年、設立15周年を迎え、広告塔でもあるホームページの充実や各所チラシ掲示により着々と新規会員も増加し、当会も飛躍に向けた活性化への転機の兆しを感じられるようになりました。

私は、技のスタイルにおいて山口師範の技・考え方を継承しているC合気会のY先生を理想としています。日頃より「Y先生の技に近づきたい、目指したい」と願うと同時に当会の稽古においても「少しでもそのエッセンスを皆様に伝えたい」と常に試行錯誤しているところです。定期的に開催している春・夏の講習会では、7年ほど前からY先生をお招きして、私が皆様に伝えたいその「エッセンス」を明確に体現いただいていると共に直に触れて頂くことにより新たな発見を体感している事と確信しています。
即ち、
① 体の使い方をより自然に、相手の動きに柔軟に且つ、伸び伸びとした稽古
② 合理的な体の使い方、力を体の中心にまとめる稽古(腹と腹)
③ 自然な動きが技になることを身につける稽古
 私は、このような合気道に共感し稽古に日々勤しんでいます。
 今年も皆さまと共に方向を見定め、探究心を目覚めさせる指導を行いながら日々の精進を大切にしていきたいと思います。
 皆さまの健康と充実した稽古ができる年になることを祈念致します。
平成23年1月吉日

幸優氣会会長 上野洋治

平成22年1月10日

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平成22年1月10日「合気会本部道場鏡開き式」において、今年度の推薦昇段者の発表があり席上、当会若松隆則さん『五段昇段』の吉報がもたらされましたので会員の皆様にご報告申しあげます。

 若松さんは昭和62年、47歳で合気道を始めてから今年70歳にならんとしていますが、合気に対する『情熱・気概・生涯稽古の思想』は会の皆さんのお手本となることと確信し、つい私の思いを記させて頂くことにしました。
 若松さんは、昭和47年に「千代田区合気会」に入会。その後、度重なる転勤にも関わらず合気道から離れる事なく新たな道場を探し求め稽古に勤しんでこられました。富士宮の「合気会沼津支部」、大阪の「尚武館」、戸畑の「祥平塾」、そして現在の当「幸優氣会」へ・・・。通常であれば、その道場がどの師範の系列なのか?どんな稽古をしているのか?と、新たな道場に対し不安を抱いたり、懐疑的になるのが常ですよね。仕事のご都合もあったでしょうし稽古も途切れがちになったことと思いますが、そこが戦中派の根性なのか(?)現在でもさらなる合気道の高みを目指し継続されています。若松さんのその迫力に、皆さんも一様に気圧されていることと思います。冬でも人一倍汗し、熱心に稽古される姿は、武士道を志す者として常に際立った『輝き』を放っています。
 当会におきましては、次々と高段へ続く方々の到来を待ちわびています。そのレベルUPには継続も必要です。若松さんを素晴しきお手本にし、ぜひ皆様も継続していってください。
 私の職場の上司でありながら、合気の道に誘い込み引っ張って参りました私自身としては、今回の吉報、とても嬉しく感激しております。今後は「幸優氣会」に限らず、後進の指導も含め合気道の繁栄のためご尽力頂けますようお願いします。
 おめでとうございます。

幸優氣会会長 上野洋治

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