幸優氣会について
本会は平成7年(1995年)10月、川崎市石川記念武道館が主催する「幸合気道教室」を中心に活動していた同好の有志が、個々のさらなる成長と地域の活性化を視野にいれた会として「公益財団法人合気会」の指導のもと設立されました。以来、合気会公認の団体としてその運営方針に則り、合気道の普及と会員の心身および技術の練成をはかることを目的として活動しています。
稽古は毎週火・土曜日に川崎市立渡田中学校、木曜日は川崎市立大師中学校にて、その他に月一回の日曜稽古を川崎市石川記念武道館にておこなっています。
昇段・昇級は指導者立会のもと年2回の審査をおこない、「公益財団法人合気会」より証書が授与されます。
合気道の歴史と幸優氣会
合気道は、剣を使わずして素手を剣とみたてながら物理的に不利な状況下においても相手の攻撃力を利用し、さらには弱点を効率的に攻めることにより自らを守る術(すべ)を教えてくれます。そのため、「チカン撃退法」などのメリットが主に取り上げられがちですが、合気道と供に生きるというのは、また違ったテイストを享受できるものなのです。
健康診断に行くと問診で「適度な運動を週2回!」と説明されたのをご記憶でしょうか?規則的な運動を継続する事により、基礎代謝量を上げることができます。(基礎代謝量とは、じっとしていても消費するエネルギー量です。代謝量がすくないと普通に食物を摂取しても消費に回らないため脂肪として蓄えられるということになります。)そういった健康面の問題を解決できることはもちろんのことですね。
今の世を生きる人々は、様々な要因から極度にストレスを感じている事は間違いありません。合気道は、リフレッシュという意義もありますが、メンタルな面ではさらなる有意義な「何か」をあなたに与えるてくれることでしょう。
指導に関する所信
合気道は、古武術をベースに誰にでも稽古できるように進化させたことから、我々に武道と日本伝統文化に親しむ機会を与えてくれています。
その技は、稽古をすればする程、限り無く奥深く、いくら稽古をしてもこれで良いということがないものです。常に新たな課題が生まれ、それを解明することこそが生き甲斐とも感じられてくるものです。
その喜びの反面、「継続は力なり!」とも言われますが、個々の生活環境・体調など全てが順調でないと長続きしないものです。稽古には厳しさも必要なのはもちろんですが、マイペースで自然体であることこそが重要と考えています。
そして、何より素晴しいことは、合気道を通じ国籍・年齢・性別に関係なくさまざまな人と知り合うことができ、交流の輪が広がっていくことです。
飽くなき探究心と、同じ道を志す人々との語らい — それが、個々の成長にも繋がっていくのではないでしょうか。
〈上野 洋治 師範(6段)
幸優気会の会長であり,千代田区合気会の事務局長でもある。〉
合気道の歴史
合気道は、古流柔術の一つである大東流合気柔術から発展したものでその始祖は「後三年の役」(1083〜87年)に兄の源義家(八幡太郎義家ともいう)を助けて活躍した源義光(新羅三郎ともいう)であるといわれる。
その後、大東流合気柔術は甲斐の武田家を経て会津の武田家に伝わり、やがて会津藩の藩祖 保科正之が殿中刃傷に対処する護身武芸として重臣たちにこの術を奨励し幕末を迎える。明治に入って会津武田家の末裔、武田惣角が全国を巡って人々を指導した。昭和の初期、高弟の一人で、精神面で大本教の影響を強く受けた和歌山県人の植芝盛平がそれまでの技を統合して合気柔術を合気武道とし、さらに合気道と改称した。合気道は、第二次世界大戦までは一部の軍人など限られた人々によって習得されていたが、敗戦三年後の昭和二十三年(1948年)に(財)合気会が活動を開始すると全国各地の大学・官庁・民間会社にクラブ、同好会、支部道場ができるなど急速に普及した。そして、1960年代にははじめてハワイで紹介され、これを契機に欧米・東南アジア各地にへと普及を遂げ、現在では200万人の方々が世界中で稽古をしている。
合気道の技の特徴は大東流合気柔術の流れをひき、座り技、立ち技。多敵の技、武器(太刀・短刀)に対する技などその総合性と格闘形態の多様性、さらにはいわゆる「合気の理」(力と動きのリズム)にある。しかし技そのものは危険なため、そのまま用いるのは実戦の場だけとなる。
合気道には柔道のように競技としての勝敗を決する試合がない。その代わり優劣を競わない演武会というものがある。
初心のうちの稽古は手順を形に定めた約束による反復だけになっています。稽古は、老若男女を問わず無理無く行えるだけではなく、左右への変化や身体の屈伸、さらには関節技も多く体育生理学的にも身体的均衡運動が多いので健康増進や保持に効果があります。